メディアリテラシー教育は生きる力に
お盆明けの午後に横浜駅西口近くの県民サポートセンターで行われた『デジタル時代 小学校のメディアリテラシー教育』に参加した。
はじめに、小学校での六年生国語科のメディアリテラシー教育の実践事例。
NPO法人ど・あっぷの支援を受けての協働授業で、子どもたちの非日常感もあり、主体的対話的な学びになっていたとの報告。
10個の記事から3個選んで新聞にする体験から世の中で目にするものも選ばれた情報であることも学んでいた。そのことを視覚化したマトリックス式の教材もとてもよかった。
次に共同通信論説委員の川上さんによる『最近のメディア状況とメディアの付き合い方』
ご自身の仕事や経験から多岐にわたる視点でメディアについてのお話しがあった。
2018年にネット広告がTV広告を抜き1位になった、今から6年前にすでにネットに商機があると判断されていたという事実だ。
TVや新聞が行っている取材・編集は人海戦術なので、このままではジャーナリズムの質を維持できるのか?という問題提起は無視できない。
さらに、現在、マスメディアが行っているメディアリテラシー教育は、マスメディア離れを食い止めるためで、真のリテラシー教育とは目指す方向が違っているかも知れないと考える必要があるとの提言がとても重く感じた。
前小学校校長の西尾琢郎先生の『小学校でのシティズンシップ教育(メディアリテラシー)の実情、課題』
現場を知る校長の立場からのお話しは大変興味深かった。
メディアとはデジタルメディアではなく、情報すべてのありようである。コンテナ(目に見える媒体)とコンテンツ(伝達される情報の内容)から成り立っており、コンテナが進化していることを知ろう。
だからこそ、小1から取り組み向き合う必要があると示唆された。
ここまでは各20分の発表で、内容が濃くて時間が足りなすぎた。それぞれの話しをもっと深く伺いたいたかった。
白鴎大学特任教授の下村健一先生は『カリキュラムを圧迫しない コンパクトで実効的なメディアリテラシー学習』のテーマでたっぷり1時間の講義。
おそらくギリギリまで思考して、参加者に合わせてくださった内容はキャッチーな言葉と実践しやすい方法がぎゅぎゅっと詰まっていた。
「まだわからないよね?」
「事実かな?印象かな?」
「他の見方もないかな?」
「何が隠れているのかな?」
この4つの言葉を繰り返し唱える実践に、子どもの様に声を出して参加した。
下村先生ご持参の使い込まれた手作り教材は、デジタルにはないアナログの重みを感じるものがあった。
幼い頃から食事の時間にはよく噛んで、好き嫌いせず、道の歩き方では飛び出すな、左右を見て、と教えてもらって大きくなった。これらの方法はメディアの見方に十分応用できることを丁寧に教えてくださった。
面倒くさがらず大人も子どもも一緒に繰り返し前述の言葉を唱えて考えよう!、短い時間で学校でも図書館でも実践してほしいと熱のこもった提案だった。
『窓をひろげて考えよう: 体験!メディアリテラシー』の第二弾が発行される予定とのこと、今から楽しみだ。
最後のパネルディスカッションでは、「有史以来、情報は真か偽かではなく、快か不快かになりつつある」との言葉が印象的であった。
学校図書館ではさまざまな情報提供を行っている。確かな情報だけではなく、見極め方なども、司書はアップデートして提供しているはずだ。せっかくの図書館と司書を活用してほしいと思う。
一緒に受講した皆さまお疲れ様でした。
ご講義くださった先生方ありがとうございます。
そして、このような企画をありがとうございました。
投稿: 長澤 京子