もう一度だけ頑張ってみようーヴィジョン・クエスト体験記

僕が滝に登るプログラムに参加したのは大学3年生のときでした。その時僕は、滝の中程でにっちもさっちもいかなくなっていました。「このままじゃ登り切れない、いったん降りて立て直そう」ふと頭をよぎりました。

後を振り返って、「一度降りたい」とインストラクターに告げようとしました。インストラクターは黙ってこっちを見ていました。

「降りるな、がんばれ」そんな想いが伝わってくるようでした。

「もう一度だけがんばってみよう」

もう一度掴めるところはないかと水流の中を探ろうと手を伸ばします。すると挙がらないと思っていた腕が挙がり、水流の中に掴む場所を見つけました。無我夢中で登りました。

「ああ、これだ、自分はいつも肝心なところで頑張り切れない」

勝負所で逃げてきたそれまでの人生が心の中を駆け抜けていきました。

気づくと、滝の上に立っていました。

「登り切ったんだ」

「この力を、今まで使わずにきたのか、、、」

この程度だと自分を低くく見積もって自分の可能性をしまってきた自分。自分で決めた限界を越えられた自分。両方に出会いました。

以来、何かを選択する時、自分の中にいるもう1人の自分が問いかけてきます。

「もっとできるんじゃない?」

当時、教育学部に通い、教員を目指していた僕は、教育実習を迎えようとしていました。僕たち学生は、大学付属の小学校か、一般の小学校か、実習先としてどちらを選択するか希望を出すことができました。学生たちの間で話題になっていたのは「付属は実習生の人数が多く指導が甘くなるため楽、一般校はしんどい」ということでした。僕に迷いはありませんでした。少しでも魅力的な教員になりたいと思っていた僕に楽かどうかは問題ではありませんでした。タメになるのはどちらか、喜んでしんどい方を選びました。

周囲の甘いささやきや多数派に同調すべしという圧力がある中で、自分はどこに向かいたいのか、そのために何が大事なのか、自分の心と向かい合って決めることができたのは、滝を登った体験があったからだと思います。

人生は選択の連続です。何時に起きるのか、今日何をするのか、同僚になんと声をかけるのか、今度の日曜日誰と会うのか、どんな仕事に就くのか、大小様々な選択を繰り返して生きています。

もしあの時違う選択をしていたら、もしあの時•••と、振り返っていくと、今自分がいるのは無数に枝分かれした樹木の先端で、別の枝葉には選択しなかった”今”が無数に存在しているように思えます。様々な偶然も重なりながら、流されるままに自己決定できないまま進んだこともありました。選択を誤ったと思うこともあります。

でも今、確かに僕はここにいる。そう思えるのは滝を登って以来ひとつひとつの選択に向き合おうとしてきたからだと思います。

投稿: 河合 宗寛