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(改1)道徳授業の提案「イジメをどうすれば無くせるか?」-オンライン開催

開催日時 10:30 12:00
定員40名
会費2000円
場所 東京都 

 
はじめに
 平成30年の春に小学校でスタートし、翌年度からは中学校においても教科化された「道徳」の授業。教科化のきっかけは、平成23年に滋賀県大津市で発生した、いじめを苦にした中学2年生の自殺事件でした。ですが、イジメは減るどころか、増えてます。そして、イジメも自殺者は減りません。「なぜ繰り返されるのか?どうすれば、効果的な道徳授業ができるか?そもそも何が問題の本質か?何を課題とすべきなのか?」が問われています。これを読んで何か気付きませんか?そうです、今年度から正式に始まった高校での探求授業です。「何気なく見過ごしがちな身の回りにあることから、課題を自ら発見し、その問題の本質を捕らえて、対策を講じる」能力が問われているのです。長くなるので、簡潔に申しますが、我々、人間は誰もが社会に出て、嫌になるほど、思い通りにならぬ、様々な壁にぶつかり、もがきます。
 故に、この本質を捉える能力こそ、社会人として壁にぶつかった時に逃げることなく、対処して、その壁を克服し、自己の成長に繋げて、「やればできる」自信と誇り、即ち、自己肯定感を醸成する為の必須の能力なのです。社会に出て、無数の壁にぶつかり、多くの人間が出社拒否や引きこもり、鬱に罹り、精神を病んだりします。だからこそ、学校生活において、子供達に、この能力の素養、下地、「何が本質か、何を課題とすべきか?」との考える力を身に付けられれば、一生の財産になります。
 そこで、長年、考えて来た、「イジメ」という学校教育における最も困難な課題の本質を探究し、授業のやり方などを提案します。参考文献はありません。どんな先人も扱わなかった全く独自の考え方です。長くなるので、なるべく、なるべく骨子のみ記載し、細部は当日、説明します。
 
1 授業に先立ち、掘り下げておくべき事項
(1)なぜ、イジメは対策しても無くならないのか、真の原因とは?
   イジメ対策推進法に示されているように、いじめは「受けた児童等の教育を受
  ける権利を著しく侵害し」「その心身の健全成長及び人格の形成に重大な影響を
  与える」のみならず「その生命又は身体に重大な危険を生じさせるおそれがあ 
  るものである」

  とされており、「やってはいけないこと」を誰もが知っており、文科省におい 
 て も、様々な施策がとられたにも拘わらず、何故無くならないのか?それは、家
 庭内虐待、SNS誹謗中傷問題、煽り運転等が無くならなことと同じであることを
 明らかにする必要がある。(なお、従来、実施されて来た同省の施策の細部は、
 「道徳教育の抜本的充実について」を参照
   https://doutoku.mext.go.jp/pdf/h29_block_training_materials.pdf)
   
   なぜ、無くならないのか?ひと言で言えば、楽しくて堪らず、嵌まるからであ
  る。水戸黄門などの勧善懲悪もののドラマが、なぜ何十年も人気があるか?農
  民、庶民には、絶対不可能な悪代官の成敗を黄門様が、代わりにやってくれるか
  らである。斬られて成敗される姿を見ると、言い知れぬ快感を与えてくれるから
  人気が消えないのである。人間は「コイツ嫌い」と思う相手が、苦しむ姿は快感
  なのである。ウルトラマンも半澤直樹も「家政婦は見た」シリーズも、本質は同
  じである。細部は省略 

(2)イジメはなぜ道徳の問題なのか?そもそも道徳性とは何か?
   文科省によれば、道徳教育は、「児童生徒が人間としての在り方を自覚し,人
  生をよりよく生きるために,その基盤となる道徳性を育成しようとするもの」

   とされている。
   だが、どこにも道徳性を明らかにしたものはない。それを具体化せねば、向上
  させ、高めることもできないし、そもそも、道徳性を明らかにせぬ、道徳教育な
  ど、そもそも不可能ではないか。よって、それを誰もやらなかった視点から、明
  らかにする必要が有る。
   なお、下記サイトは、「人間は、日ごろは、立派なことを言っていても、我が
  身可愛さの為に斯くも簡単に変容する」例である。

   「『旭川中2女子凍死』で認定された加害生徒の陰湿手口、大人たちの許され
    ぬ行為も」 https://diamond.jp/articles/-/301842?page=5
   
(3)「イジメはどこでも起きる」と定説の如く言われるが、本当か?イジメが絶対
  に起きないクラスが学校に必ずある。どこか?それは、なぜか?この解明こそ、
  イジメ対策の核心
2 授業の進め方ー討論の場において、自己の内面を透察し、考えさせる
(1)1回目授業内容
   4〜6人程度のグループに分かれ、下記の各課題(Q)について、個々人毎意 
 見発表 。また、発表準備として、授業の一週間前に子供に課題(Q)を付与して
 おく。(家族、友達間での相談推奨)
  Q1. 自分のイジメに関する被害と加害の経験はどうっだったか?の振り返り
   (それを他者に説明する際、どちらが言い易く、言い難いか、それはなぜか、
    考える)
  Q2. 「イジメはヤッチャアいけない」と分かっていて、なぜ無くならないの
    か?(それは子供の世界だけの問題か?大人の世界のイジメとはどんなモノ
    があるか考えよう)
  Q3  イジメをする人間、しない人間の違いは何だと思うか?(自分はどっち
    か、考えよう)
  Q4 許されないイジメ、許されるイジメはあるか?その理由、根拠は? 
  Q5 なぜ、いじめの問題を道徳授業で取り上げると考えるか?その理由は?そ
    もそも道徳とは何か?「道徳性の向上を目指す」というが、道徳性とは何
    か?なぜ重要なのか?

     以上について、質疑応答の後、グループとしての最適案をA4一枚にまと
    める。
(2)2回目授業内容
   グループ毎、最適案を発表、質疑応答。その後、先生が、自己の意見,所見を
  述べる。 (次項参照)

(3)先生による所見発表(骨子のみ)
 (ア)「なぜ人間はイジメに簡単に嵌まるか、なぜそれが人間の一生の問題となる
    のか?」
    イジメの問題にどう対処するかは、君達の一生の課題になる。なぜ、そう言
   えるか?今、世間を見渡せば、パワハラ、セクハラ、煽り運転、家庭内虐待、
   など、皆「やってはいけない」と分かって、やってしまい、人生を棒に振る事
   件が後を絶たないからだ。なぜ、後を絶たないのか。人に不幸、苦痛を与え
   て、楽しむ快感が堪らないから、嵌まるのである。これがQ2に対する先生の
   意見だ(下段※1参照「はい終わり〜」と言った瞬間、体中に快感が走ったは
   ずである)。だから、味をしめると何回も繰り返す。一種の病気だ。そこで、
   Q5「なぜ、いじめの問題を道徳授業で取り上げると考えるか?」を問うこと
   となるんだ。人間は、常に楽なほう楽なほうへ、いつも易きに流れる。つま
   り、「ヤッチャアいけない」とわかっていて、やりたいからやり、「ヤンなき
   ゃいけない」と分かっていて、嫌だから逃げる、ことが日常的に起こる。「エ
   ッ、日常的に?」と君たちは、疑問に思うだろう。そこで君たちに、訊く。
    「道徳とは何だ」と思うか?道徳とは、易きに流される弱い自分に一線を引
   き、自分自身の生き方、あり方、人生の危機管理をすることだ。後略
 (イ)「人間は何の為に生きるか、なぜイジメが自分を最低の質の人間にすること
   になるのか?」
    人間は、何のために生きるか?人間は、感動する為に生きると考える。最も
   望ましい、やり方は、自分の課題、夢、目標に挑戦し、克服、成就して、「ヤ
   ッタア、この為に、今まで頑   張って来た」と感動することだ。だが、其
   れには、失敗するリスクが必ずある。だから、人間は挑戦したがらない。努力
   が無駄になるかもしれないと思うと挑戦する気にならないのだ。そんな人間が
   次に向かうのは、趣味、娯楽の世界で、感動を目指す。登山が趣味なら「百名
   山踏破」、ゴルフが趣味なら、「HCシングル」など、立派な勲章だろう。他
   に秀でるものを目指すなら、努力も金も時間も必要となる。決して簡単ではな
   い。結果、思い通りにならぬこともある。そんな人間が次に向かうのは、ギャ
   ンブル、アルコール、ゲーム、薬物、そして痴漢、覗き等の性的嗜好によって
   得られる快感だ。これらは、度が過ぎると依存症の危険性がある。そして、そ
   の次が、イジメ、パワハラ、煽り運転などの他人に不幸、苦痛を与えて快感を
   感じるやり方だ。SNSでの誹謗中傷が盛んに行われているのも、この快感の
   為なんだ。だけどね、何も楽しむものがないからと言って、他人の苦痛、不幸
   しか悦ぶ手段を持たぬ人間になったら、人間は間違いなくオシマイだ・・後略
 (ウ)「Q3 イジメをする人間、しない人間の違いは何だと思うか?」について
    この問題は、「イジメが絶対に起きないクラスが学校に必ずある。どこ
   か?」の問題と同じである。君達が、自分の過去を振り返るなら、分かるはず
   だ。どこか?そうだ、新入生、一年生の入りたてのクラスだ。なぜか?周り
   は、知らない同級生ばかり、やる事は、初めてのことばかりで、不安が一杯、
   緊張感に包まれているからだ。免許取り立てのドライバーも煽り運転は決して
   できない。なぜか?事故が怖くて緊張感に包まれているからだ。・・・後略
 (エ)「君達が、今、真剣になるベきことは何か?」
    人間の一生は必ず終わりがある。そして、君達の未来は明るいものだ、と
   の保証はどこにもない。だが、コレだけは言える。君達の未来は確実に君達の
   現在と繋がっている。そうだ、君達の現在の有り様が、君達の未来を形成
   する。現在の大人社会を見ながら、感じることも多いはずだ。「自分は、どん
   な大人になるべきか、どんな大人にだけはなってはいけないか、どんな人生を
   歩むべきか、どんな人生だけは、歩んではいけないのか」を考えねばならな
   い。数年後には、もう大人になる。「まさか自分がこんなことに・・」な
   ど、泣き言は決して言わぬ覚悟を持て。イジメや不登校に時間を浪費する暇 
   など、決してない。それは自分自身の危機管理をしていないに等しい。少年期
   にどんな刺激、負荷を頭、身体、心に掛けるかで、可能性は無限大に変わる。
    今、スポーツでも、芸術、音楽の世界でも、一流と言われる人達が、どんな
   少年期を送っていたかを見れば、一目瞭然だ。だから、「今」が、重要なん
   だ。今、どう有るべきか、今、何をすべきか?
    それは端的に言えば、自分に対する日々の課題を課し、自分に緊張感を与
   えることだ。一流と言われる野球の大谷選手や将棋の藤井棋聖たちが、小中生
   時代、どれだけの厳しい課題を自分に課し、自分を緊張状態に置いていた
   か、・・「一流になれ」と言っているのでは決して、ない。イジメ如きに嵌ま
   って、ヘラヘラと日々を漫然と過ごすのは、クズ人間のやる事に等しい。すな
   わち、自分の無限の可能性を自ら潰す愚かさを知ってもらいたいからなの
   だ。・・後略   

(※1)大阪府堺市の路上でバイクに乗る大学生に追い抜かれことに腹を立て、猛スピードで煽ったうえ死なせたとして、殺人罪に問われている中村精寛被告に対する控訴審が大阪地裁で開かれ、弁護側は改めて「殺意」を否定し、減刑を主張した。この事件では、中村被告の殺意が焦点となっている。中村被告のドライブレコーダーに被害者が追突され死亡した瞬間、「はい、終わり~」という音声が入っており、これは殺意を表した言葉であると誰もが考えているが、当人はこれを「自分の人生が終わったということ」などと主張。これが伝えられると、「言い訳である」と怒りの声が殺到する。結局、一審の大阪地裁堺支部は、中村被告の殺意を認定し、懲役16年(求刑同18年)の判決。(https://npn.co.jp/article/detail/86982049より)

4 補足ー時間があれば、下記についてもお話しします。 
(1)先生の質とは何か?(話し掛けられて、嬉しくなる子供はいるだろうが、逆に、疎ましくなる子供はいないか、黒板の字の間違いを指摘されて、イラッときてないか、笑顔で「指摘してくれて、有難う」と、新任の時の如く、言えるか、「いい先生になりたい」、との志は、変わりないか、「いい先生と思われたい」に変容していないか、両者の違いに気づいているか?)ー教師の質とは、教師の道徳性そのもの(細部は省略)    
(2)仕事ができる人間になる為の会議活用法
(3)課題探究学習がなぜ、死活的に重要な意味を持つか?その理由
(4)「小学校時代の過ごし方がなぜ人生を決める程に重要か?ーその根拠を明らかにする
(5)忙しい教師の働き方改革の参考ー50年続いた、月間残業時間二百時間の殺人的状況を改革した官庁での実績説明
(6)「褒めて自己肯定感を上げる」と盛んに推奨されるが、それが如何に間違いかを説明する。(褒めて簡単に上がるものなら、貶されて、急落するのではないか、だから、イジメに遭うと「もうダメ」と簡単に自殺する)
(7)その他

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