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東京いずみ会(小学校国語) 12月例会

開催日時 13:30 16:00
定員20名
会費500円
場所 東京都板橋区立第8小学校 

平成28年度 東京いずみ会 12月例会案内

「読めない児童のある場合、教師は決して読める児童と対立的に考へてはなりません」  芦田恵之助「教式と教壇」 昭和13年発行 より

11月19日に予定されていた例会は、会場の都合で12月の例会と合同になりました。
今回は、光村2年下『スイミー』の実践報告です。その後、10月例会の報告者が、代替期間が2か月間に伸びのでその間に気付いた実践上の課題なども話していただく予定です。

どの子も落ち着く国語指導 いずみ会 http://izumikai100.web.fc2.com/

読める児童は読めるでよし、読めない児童もそれで読めるようになる楽しみがあると考へさせたいのです。不注意を責めたり、不勉強をせてたりすることは、却って読めない児童を自棄せしむるに過ぎないことになります。児童が意識してゐると否とを問はず、学校に通ってくるその心の底には、育ちたいとか、育つことがうれしいとかいふ人間の本姓に根ざした尊いものがあるのです。それが順境に置かれて、素直に発達してきたものと、どうかしたはづみに軌道を逸して、そのままになってゐるものなのです。それが優等生といはれたり、劣等性といはれたするのですから、そこの開きがだんだん大きくなつて行くのです。教室内にこの対立観を生じ、師がうつかりして、それが除去を怠つてゐると、いつか競争の心を生じて、その結果自負となり、自棄となり、識らず知らず子供ながらに悪徳を助長することになります。最悪の場合は、その優劣の間に、或は優劣相混合して、社会相の一面をそのまゝに、争をこれつとめるやうなことになります。我が国の学級にも、かうした悩みに、可なり苦しんでゐるものが少なくないと思ひます。実際には醜い姿を暴露してゐても、気のつかない師もあるかと思ひます。競争の上におかれた学業は、安心の上におかれた学業に比すると全く似て非なるものであり、闘争の上におかれた学業は、学業つひに地に委してしまふのが例です。読み一つを考へても、読める者は読める所に安んじ、読めない者も読めない所に安んじつゝ、やがて来るべき読める日を待つといふ風に導きたいと思ひます。 

現在の問題につながる提言です。芦田先生の実践に学ぶ小学校の国語指導の会です。気楽にご参加ください。

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